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何か作りたかったのです。 自分で作って、誰かと共感したかったのです。
小説書いたり、写真撮ったり、オブジェ作ったりしていました。
30くらいからかな。
でも、どれも、なんかうまくいかず、周りからもイマイチといわれて……
そんなときイイザワさんが「確信のあるもんがいい」といったので、
はた?と考えて、何なら確信がアルか、というと、それは、……

(えーーーと、書いているうちに、面倒になってきてしまいました。
長い文には愛がない(笑)) 
   
それが、コトバだったのです。
これならば、いいものもわかるし、自分が一番と思えるのでした。

あーーー、ちょっと、はしょってしまいました。

その前に、イイかなと思ったのが、絵日記でした。
私が日常から感じたことを書いたもの。
そこから、普遍というか、世界の断片が見えてくるページもある日記でした。

でも、文はいいたいことからどんどん遠ざかる。
文にして、強制的に思考を誘導したくない。
どんどん、短く、すると、私の言いたいことに近づく感じ。

だからコトバ。

広げてほしい。
発見してほしい。
変化させてほしい。
解釈してほしい。
使ってほしい。
ときに、誤解されたい。
投げ出して、そして、言葉として成熟していかせたいのです。

世界は断片でできていて。
現実は見る人によって違って。
認識によって違って。
それはしょうがない。 でも事実に近づきたい。
写真のスナップショットくらい事実に近づきたい。

ショットです。
認識のスナップショット。
誰でもが知っていること、でも、気付いていないこと。
気付いたことがあっても、忘れていること。
ほんと、身の回りのことです。

そんなショットを投げる。
当たって、笑う。
見つける。
普遍と、現在を知る。

ある人がいいました。
トキさんのコトバは、池に投げる石だと。
それも、大きな波紋を作る石。
何回も、水面をかすめていく石。
魚に命中する石。

一緒に、コトバをめぐっておしゃべりしましょう。
それが、幸せにつながっていく気がするんです。

だから、コトバ。

そして、次。
週刊にしたのは、読み手とつながりたかったから。
この、量だと、週刊がちょうどいいと思った。
定期刊行物って、書き手と読み手で場ができるでしょ。

ハガキにしたのは、郵送費を考え、経費がかからないから。
動くポスターで、多くの人の目に触れるから。
壁にもはれるし、場所もとらない。

官製ハガキにしたのは、イイ質感だから。
実は、近頃、質が変わり、ちょっと残念。
真っ白になってしまった。

それから、色がないから。
手書きにしないのも、手書きは情報量が多いから。
(字が下手すぎて、情報量が多過ぎる!)
私からのメッセージではなくて、ただのコトバにしたいから。
ゴシックにしたのも、表情が欲しくないから。

といいながら、大きさを変えてるのは、ちょっと、矛盾。
一応、レイアウトされているのも、もっと矛盾している?
そう、これらは、私にとってのちょどいい矛盾。
見る人が楽しめるくらいの矛盾だといいな。

最初からずーっとオンナジ。
コトバは、そのときどきの気分じゃないから、順番はない。
古い、新しいはない。

私の中のある一つの、これ、というものに、触れたものだけが、
コトバになって、出ていく。

まず、認識があって、それがコトバになる。
日々、探し続けている。
スナップショットを撮り続けるように。

どこで撮るか。
それは、これ、と、思う時。

そして、それをコトバにする。
 

土岐小百合/ときたまの母



こういったメスの行動に対し、オスとしてはただ呆然として見送る他ない。
可及的速やかに森に戻すことが望まれる。
坂田明/ミュージシャン

認識のスナップショットだ。
飯沢耕太郎/写真評論家

『TOKIのことば』=現代の曼陀羅。
その一個一個が、普遍の真理と時代の変化と世界を表わす。
志村季世恵/バースセラピスト

その日の自分のリトマス試験紙。
白谷敏夫/グラフィック・デザイナー

ときさんの魂は博徒である。
彼女は、シティー派、女性版の山頭火なのだ。
山中麻弓/作家

TOKIのことばは SEKAIを旅して CHIKYUに絵を描いている、無色の絵
の具だ。
受け取るひとのこころが 色を付ける。
草野象/オンサンデーズ